「Dwellers of a Sandcastle」/La'cryma Christi

 しょーもないことを言うようだが、このジャケット、『Earth VS the Wildhearts』そっくりだよなー(笑)。頭がオイルに浸かってないとか、顔の上に乗ってるのがサソリだけとか、まあ細部は違うんだけどもね。さて、じゃあ音の方はどうかと言うと、もちろんワイハー的なものではない。そうね、ワイハーがビートルズmeetsメタリカであるとすれば、これは・・・うーん、なんだろう、TAKAmeetsプログレという感じとか?(笑)


 と冗談を言ってみたが、大雑把に見て、ラクリマのカラーを決定的にしているのはこの"声"であろう。なんだかんだ言ってもローリング・ストーンズミック・ジャガーの"声"が欠かせないように、このバンドにはTAKAの声が欠かせない。"Warm Snow"や"Forest"といった曲を成立させている決定的要因は、つまりこの"声"である。それらの曲で描かれる、グリム童話の如き、ダークながら魅せられてしまう世界観を音として定着させるために、やはりこの"声"はどうしても必要だ。そのようにまでなってしまった"声"というのは、もはや響きやタイミングの取り方、といった点で楽器と等価である。そしてまた、これが普通のポップスに乗っかってしまったら独特すぎて浮くだろう、というのも想像に難くないが・・・。
 と、一旦規定した上で、やはりそれが浮き上がらず、一体となって"響く"、この濃密な楽器隊のアンサンブルやアレンジの意義というのが初めて語れるのではないだろうか。この"声"が"楽器"的であるとするならば、この楽器隊は言ってみれば"声"的である。控えめに言って、通常のバンドアンサンブルの何倍ものメロディーが、ここには封じ込められている。それぞれの楽器が、バラバラになりかける寸前まで各々勝手なことをやっていて、しかもそれぞれがフックに富んだキャッチーさを持っている。平たく言えば、ブレイクやコードと言った諸々の決めごとをしっかり踏まえた上で「楽器が歌っている」。例えばこれはロックだからそこにギターの音がありさえすればいい、とか、ハットの音がビートに準じて規則的に入っていればいいとか、そうした次元ではない。詞が導く曲想を芯に、絶妙なバランスでバラけたり、一体化したりしてみせる。それはまさに溢れ出るイマジネーションの豊かさであり、まるでフェリーニの映画のようだ。

 ・・・と、このように、二つの倒錯的現象がひとつになるところに、まずこのバンドの根本的な魅力がある。この"声"に平たい演奏はありえないし、凡庸な"声"ではこの濃密な楽器隊に負けてしまう。


 さて、そうは言ってもだ、やっぱりこれはどこか原石的な作品であって、メジャーな作品として通用するレベルとしては次作以降に比べると落ちるだろう。それは端的に言えば、全くリアルタイム感を欠いた"追憶"的要素、もっと言えば"死"のイメージに方向付けられた詞に明らかだと思う。広く聞き手に訴求する作品にとって問題なのは、いかに開かれているかであり、それはこのバンドにとっては、過去への眼差しに向かいがちな(プログレやハードロックを含めた音楽全般の、偉大なる先達の残した)"蓄積"をいかに現在ひいては未来に生きるものに仕上げていくか、ということだろう。それをなし得る潜在的なポテンシャルとしてもこの"声"はあるし、控えめながら機能してもいるが。


 よく出来てはいる。バンド像もしっかり提示出来ている。しかし、このバンドが化けるのはこの次からなのである。