シトロンの雨」/田村ゆかり

 まず、思うに前作はある種の「原点回帰」であったのだなあ、と。この際だから断言するが、「かわいい」の枠を突き破り、まるで祈りのようでもある「Tomorrow」に代表されるような、確固たる意思による一点突破的な楽曲群として纏められた前作で、ゆかりんは脱皮し、かつ主張することをためらわない「アーティスト」に、名実共になったのだと思う。無論それまでの作品の出来が良くない、などということはなく、むしろそこに込められた(装飾性も含めた)こだわりは単なる「商品」を遥かに上回る価値を作品に与えていたと思う。しかし前作を通して窺い知れるある種の「確たる意思」(と、そのことの感動)を前にすると、やはりあそこで一回区切りがあり、そして始まっているものがあると感じる。「アイドル声優」の作品として成立しつつも、しかしどこか地に足の着いた佇まい・・・「かわいい」とは何か、「女の子」とはどういうものか、そして今の自分、これからの自分はそういったこととどう付き合っていくのか・・・そういったことに対するある種の「けじめ」、みたいなものが前作の根底にあったように僕には見える。これは特定の歌詞がどう、という話ではなくて、トータルな雰囲気というしかないのだが・・・。


さて、そこで今回の作品である。まず単体の作品として、なんでもありの曲調(アレンジ)のバラエティー、変幻自在な(時に「萌え〜」な)本人の歌唱、と、むしろ従前の(具体的には5th『銀の旋律、記憶の水音』だろうか)作風に戻ったような「幕の内」なアルバムとして、飽きさせず、クオリティーも相変わらず高い。普通の「ポップス」作品として、これだけでも十分称賛に値すると思う。



 しかし個人的には、もう少しヒストリカルな捉え方をしたい。つまり前作あってこその今作、ということ。ある意味で「素」を覗かせるような前作を経て、さて今度はもっと深く、そして思いっきり自由に「アイドル声優」してみようか・・・そんな吟持すら感じさせる作品になっている。冒頭のハードロッキンな「Heavenly Stars」における(いい意味での)「うるささ」はその証左ではないだろうか? それに「ラブラブベイビーハッピースター」(このタイトル!)における「萌え系ですがなにか?」と言わんばかりの開き直りときたら! まさかの男声ラップ(M.O.V.Eのmotsu)を絡めたコテコテなユーロビート「You & Me」にはその突き抜け方に思わず拍手してしまうし、実はアダルティーな新機軸なのに引き続きのmotsu登板ですんなり聴けてしまう「Love Sick」への繋ぎも冴えているし、「砂落ちる水の宮殿」「神聖炉」と続くかつてないスケール感を漂わせた民族音楽路線は一見裏をかいたようでもり、懐の深さを感じさせるようでもあり・・・と、ついうっかり前作のレビューで「『アイドル声優』、いいでしょう、引き受けましょう、でもやるからにはとことんやるし、そこで安穏としたりはしませんよ、という意思表示だと思う」などと書いてしまったが、もしかしたらこれは今回のアルバムのために取っておくべきフレーズだったかもしれない。全編フィクショナルな仕立てが小気味よいほどでありながら、しかしそこに耽溺しない力強さ、はっきりした意思の輪郭・・・作品全体に漲るなんとも言えない開放感の正体は、この二つの両立ではないか。つまり、正々堂々と、しかもノリノリで、だけど正気で「アイドル声優」をやってみせるということ。しかも過去の実績は何も捨てていないのだ。だから縮小再生産にもなっていない。ある意味貫禄と余裕すら窺える「大文字の田村ゆかり」・・・よくわかんないが、確かにそんな感じなのだ。



以上踏まえて、今後は「ゆかり兄さん」と呼びたい。いや、呼ばれても困るだろうが(笑)。それにしてもプロフェッショナルだよなあ。感服。