sasabou2005-08-26


15.「HEART」/L'Arc〜en〜Ciel('98)


 さて。活動休止を経て復活後、前回の区切りでいえば「第二期」の幕開けとなる作品。


 まず一聴して気付くのは、yukihiroの奏でるドラムの音の軽さ、そしてスカスカな音作りであろうと思う。バンドが作曲の為に滞在したドイツ、ライン川流域の巨岩であり、人々を誘惑する妖女でもある「ローレライ」を歌ったオープニングから、それは一貫してある。決して手数が少ない訳ではないが、どこか存在感の希薄なyukihiroのドラムは、低音域よりもむしろ高音域を多用するtetsuのベースと相俟って、どこか曲に浮遊感を与え、ほぼ一貫して単音のみを奏でるkenのギター、全体に少年のような、地声を抑えるようなhydeのボーカルがそこに絡み、あとは申し訳程度にストリングス、ピアノ、サックス・・・という隙間だらけの音像はどこか物足りなくもあり、ジャケットに表現されるような、モノクロームな世界を想起させる。歌われる詞も、「否定」「疑い」ばかりがまず目につく。前作でのカラフルさは完全に影を潜めているかのような印象。活動休止に至る一連の騒動を経て、彼らの表現は干からびてしまったのか。

   ・・・しかし、聴きこむと印象は変わってくる。ここでは、幻想がそのまま幻想として鳴っているのだ。リズム隊が脆弱になったというのは勘違いで、ビートを刻むことの代わりに、全てのパートが「詩」を歌う方向に向っているのである。各楽器の役割とされるもの、あるべき姿とされるもの、そういった全てのルールが無意味化し、ここで試みられているのは全ての創作の基本である、「詩」を奏でることである。全ての音が重なりあって、ハーモニーを奏でている。絵でいえば、線の上に色を置いていくのがそれまでとすれば、これは線のない世界、色だけの世界である。塗り込むことにより幻想を実体化しようとしたそれまでの路線に変わって、本当に必要なものしかここにはない。幻想に輪郭はないのだから。
 予期せぬ「事件」によって突然社会から抹殺され、同時に全ての物差しからも解放された中で見えてきた、全ての即物的な感覚から解放された、より純粋な幻想世界。そして誰かに見せる、という意識を超えた次元で、つまり奏者の中で引き寄せて翻訳しようとせず、そのまま描き出してみせたのがこのアルバムなのではないか。だからこそ純粋に、幻想がそのまま幻想として、浮遊感を失わぬまま像を結んでいる。そして逆説的ではあるが、それゆえに幻想が圧倒的に説得力を持っているのだ。ただそこにある、その強さである。
 歌詞も同じだ。「心」の動きそのもの、感覚世界を漂うような詞。おびえ、とまどい、問い、そしてそこから回復し、何かを信じ、慕おうとする意志。その葛藤。何もかもを解体し、そしてそこから一人称の中で再構築しようとする意志。現実に立ち向かう前に、しっかり自分の中で足場を固めていくこと、どんな現実に直面しても、フレキシブルに変化・対応し、しかし変わらないものをしっかり確認しておこうとする意志。ここまで描いているから、この作品には「救い」がある。現実からの逃避としての幻想ではなく、現実に還っていくための幻想がここにはあるのだ。

 「イメージ」の作品。あえて言うなら、そういうことだ。