sasabou2005-08-09


12.「WITHOUT YOU I'M NOTHING」/PLACEBO('97)


 "Without you, I'm nothing."というのは、直訳すれば「あなたなしでは、私など無である」ということだろうか。このタイトルの意味するところはなんだろう?


 今生きているこの世界が、夢の中だけの世界かもしれないーー例えば、そんな想いにとりつかれたことはないだろうか。自分がいて、家族がいて、それぞれの友人、仕事仲間がいて・・・というのはすべて幻想で、実はこれは全部夢なのである。意識の中だけのもの。たまに続きものの夢を見ることがあるが、その特異な例なのではないか。もっとひどく言うと、自分の夢ですらないかもしれない。自分など、誰か他人の見ている夢の中の、いち登場人物にすぎないかもしれない。

 こんな体験もある。幼い頃、朝の光がカーテン越しに充満した部屋の中をぼうっと見ていたら、目の錯覚か、そこに満ちていて、見えないはずの空気が、粗い、赤・青・緑の光の三原色の粒のようなものの集まりに見えて来たのだ。そのとき、この世のすべては実体のない、空虚なもののように思えた。自分の存在だけは辛うじて在るかもしれないが、世界中に存在する他のなにもかもが実体はなく、自分だけが孤独に存在しているような・・・。いや、そう思っている自分も、じつは中身のない、赤・青・黄の、漂う粒で曖昧に形づくられただけのものなのかもしれない。京極夏彦ではないが、五感を通して対象を知覚している以上、その五感を疑ったら最後、自分にとって世界はいっぺんにあやふやな、実体のないものになってしまう。


 さて、それならば、自分の存在を証明するものとはなにか。それは他者の存在、他者とのコミュニケーションである。誰かの役にたったり、迷惑になったりして、そのことで返ってくるリアクションを受け止めて、そこで初めて、自分のしていることの意味が分かる。ひいては、自分がしたいこと、すべきと思っていることへの客観的な意味付けが出来る。その結果、自分を形づくる要素は取捨選択され、更新されていく。そしてその中で変わらないなにかを発見することがある。それは確かに、自我と呼べるものなのではないか? 


 このアルバムでのプラシーボ(というか、ブライアン・モルコ)の主張は、そういうことではないか。収録された全ての曲は、「自分」の枠を超えたものとの乖離や、理解など、コミュニケーションのさまざまな風景を描いている(ちなみにここでいう他者とは、一人でも複数でもあてはまる。"you"は単数でもあり、複数でもあるから)。