sasabou2005-03-19


9.「SIMPATICO」/D:A:D('97)


 simpatico! ― wherever you go!("Simpatico")



  イェスパ・ビンザーの、ザラついて、洗練されていない声は、同志を求めつつ、しかし同時に曖昧な共感やなあなあな馴れ合いを拒絶するようでもある。『SIMPATICO』・・・訳して『同志』。うまく邦題を付けたものだ。「仲間」や「友達」ではない、なにかしらの決意を秘め、どこか古臭く、それゆえに可笑しみさえ伴っている、「同志」。


 かつて過剰なまでにコミカルなパフォーマンスで、常に「常識」を茶化してきた彼らは、自信作でもあった前作『Helpyourselfish』の、過去の作品と感触の異なるサウンドメイキングに対する過剰で偏った拒絶反応で、自分たちが「日々の欲求不満をわかりやすいかたちで代弁してくれる奴ら」という形で消費されていたことに否応なく気付かされたのではないだろうか。殆どのリスナーにとって、前作の彼らはシリアス過ぎた。重すぎたのだ。時代に反抗する権利を、「D.A.D.といえばこの音」という「常識」によって既に強制的に奪われてしまった自分たち・・・。


 ――お前がどこに行こうとも、同志だぜ!


 servin' up the another dream into everybody's empty heads(からっぽ頭のあんたらに、変わった夢を与えてるのさ――"Empty Heads")なんてギョッとする一節が、なぜかどこかメランコリックでやさしい音に乗せて届けられる。「呼んでくれよ”芸術”と」「呼んでくれよ、用なしのボブと」と、祭りあげられながらも容赦なく消費されていく自分たち(と、それを含むアーティストたち)を皮肉めかしながら、しかし実は「わかってくれるだろ? おまえが本当の同志なら」と、彼らは聞き手に語りかけている・・・のではないだろうか。



 ・・・一体何を?


 "Home Alone 4"で、家の中から出てこない孤独な主人公は、なぜこんなに優しく、ユーモアたっぷりに自分の境遇を話かけてくるのだろう? ・・・または、"Hate To Say I Told You So"で破滅していく登場人物を見つめる、どこかいたわりに満ちた、俯瞰的視点。・・・かと思えば、「No One Answers」での孤独な成金のコミカルな描写には、容赦がない。・・・もしかしたら、「夜明けと共に起き、夜が来るとともに寝る、これが俺の今の生活/見ないでくれ俺のおびえた目を」と歌う"Life Light Now"で描かれているのは、時代とともに、変わり果ててしまった「俺は昼を寝過ごしてやるのさ/アフターダークが俺の活動の場」だった、かつての代表曲"Sleeping My Day Away"の主人公なのだろうか・・・。



 ・・・彼らが、このどこか突き放すような音像で問いかけるのは、決して安易な共感や、仲間意識ではない、もっと深い、哲学の一致とでも言えばいいのか、きっとそのようなつながりなのだ。ここに安易な救いはない。しかし、彼らは、望まずして不遇に甘んじている「同志」にはいたわりを忘れない。そして、そんな「同志」とのつながりをもさらに皮肉めかして笑ってしまう強さ。この「強さ」はもはや、いちバンドの持ちうる世界観の枠を超えている。D:A:Dというバンドが、デンマークという北欧の一国との中とはいえ「国民的バンド」になり得たのは、この「強さ」を持つことが出来たからかもしれない。