んん?

 包丁で指を切りました。痛い。血がドクドク出ています。怖い。そんなこんなで、なんとなく書いといたテキストを以下、時間稼ぎに。んでもって、療養に入ります。早く出てこい血小板・・・。





 前回前々回とぶつぶつ言っていたのだが、ここらで一気に本音を言うと、結局は「キミ、言いたいのはそういうことじゃないだろう」という感じになるだろうか。


 例えば、数年前「パクリ」だか「インスパイア」だのの検証サイトの類が花盛りだったが、実際それらが示すものは「AとBが似ている」という事実だけで、あとは良くても、「Aが先で、Bが後出し」ということを匂わせるデータが付記されているのみ、というのが相場だった。そう、そこには「なぜパクリはいけないのか」という論理的な主張がない。そんなことは自明だとでも言わんばかりだ。しかし、くどいようだが、特にポップカルチャーにおける、時代性からの影響だとか、既存の功績の上に成り立つという特性だとか、もしくは「本歌取り」よろしく「引用」や「類似」をも楽しむ土壌だとか、そういったことを考えれば、「単に、似ている」がそのまま負の要素に繋がるとは言い難い。むしろ、この(出発点と結論の)間にはだいぶ距離がある。


 こういったことに関して、「空気を読め」ということなのかもしれず、そう言われてしまえば「空気読めなくてスイマセン」と言うしかないのだが、しかし特に「検証」という場に於いて「空気読め」ではマズイだろう。そこには当然、「パクリ」だとか、もっと批評的な言葉で言えば「剽窃」がいかにブラックなのかに関する至極論理的な、定義がなくてはならない。


 ここまで書いてきて気付いたのだが、「検証」サイトにおける「パクリ」から「有罪」を繋ぐロジックは「後から真似して儲けるのはズルい」という、極めて資本主義的な、言ってしまえば「つまらない」論理ではなかったか。なにが「つまらない」かって、それはほぼ疑いなく、借りてきた論理だからである。考えてみれば、わざわざFLASHだの画像サイトだのまで作って、つまり素材をマジメに用意して事細かに論じるという手間を支えるのは、JASRAC的な「お仕事」の立場にいる人間を除けば、これはもう実にオタク的な心性に他ならなかったわけで、彼らがいかに「二次創作」や「ニコニコ動画(というか、ほぼ初音ミク動画)における著作権」における「剽窃」の如き行為に寛容、どころか擁護する立場にあるかを考えれば、答えは明らかである。「二次創作や初音ミクは別に儲けてるわけじゃないから、いいんだ」ということだ。で、「創作を生業にする人間がパクって儲けたら、イカン」というのは、なんなんだ? ・・・借りてきた論理じゃないのか。人のふんどしで相撲の如く、自分が当たり前と思っている感性を、それこそろくに「検証」もせず、強弁してるだけなんじゃないのか? 真似して金儲けする奴はダメだが、真似や引用しても金儲けにはしない自分たちはOK、どころかむしろ「わかっている」のだと言いたげな匂いが、その周辺から匂ってくる気がする・・・これは印象だし、推論でもあるけど。


 以上踏まえて、「パクリ」の「検証」とは、「いかに自分がイケているか」の裏打ちの作業だったんじゃないのか、と言ってみたい。なおかつ、これは時事ネタをめぐる言説にも感じるのだ。「サカイ容疑者」にしてもそうだ。夫婦して薬物にハマる、というアウトラインにしてもそうだし、「年齢的にあんなにガリガリなのはおかしい」とかいう余計なお世話もいいところの指摘にしてもそうだが、私には、それを言うことでいかにも世間一般の「夫婦」が、自分たちは健全で、紋切り型なわけでなくセオリーを踏まえているのだ、ということを強弁したいように見えた。薬物汚染が当人及び周囲、芸能人であれば世間に与える悪影響というのはあるのだろうけれど、しかしそれを真剣に考えても、騒動をあれだけ加熱させるだけのものになったかどうか。どうにも私には、あの事件は社会の健全さを強弁するためのいいダシに使われたような気がするのだ。もっと最近のハナシで言えば「34歳詐欺女」にしても、そう。「嫌いな人:貧乏・不潔・バカ」なんて、はっきり言って、みんな、そう思ってるでしょ?





 ・・・さて、ムキにはならずともなにかのアツさをもって「サーダケンジはなんで太っちゃったの!?」とか言ってくる人を見るときも、どこか「自分はいつまでも太ったり老いたりしない!」という夢を追いたいように見えてならない。それこそ少なくともここ10年ぐらいの作品をつぶさに「検証」して言ってくるのならまだ相手にしようという気にもなるのだが。・・・最後、蛇足ではありますが。