感触(タッチ)

 前回の続き。続くのかよ・・・。



 んーとですね、サンプリング世代といいますか、「もはや全てがやりつくされてしまった」感といいますか、主に'90年代以降、そのような論調がありますわね。これ、僕は特にそう思わないところがまあいろいろナンなんですが(笑)、とまれ、CGはアナログの風合いの模倣を始めてン年、過去作品のリバイバル的な復刻が続くことン年というなかで、その他諸々、まあそのような所感を抱くとしても不思議ではない。しかしそれはまた、多くの「イマドキ」な人々にとってのエクスキューズにすぎないというか、ポーズにすぎないというか、シニシズムの延長線上に過ぎないというか・・・結局、だから、どうするのだ、という指針がないままに現状肯定だけがそのように頑と立ちはだかっているし、また立ちはだかるのを許しているというのが現状という気がするね。


 つまりですね、別に「氷のくちびる」が「Hotel California」からのイタダキだろうがなんだろうが、「サンプリング世代」からしてみたらどーでもえーという気がするのね。かつ、内部事情を調べ上げて、そのような明確な意図があったのかどうか、聴き込んでいたから影響が出てしまったのか、それとも単に似てしまっただけなのか、その辺を明らかにする、というのもどうでもいいと思う。もし仮に「もはやオリジナルなどない」という視点を持つ観測者ならば、「似てる」事実のみを自明のものとして、「作品単体として較べたときに、それぞれがどのような効果を上げているのか」とか、そういう視点を持っていくべきだと。その上で、やっぱり甲が乙の劣化コピーだという論考をまとめるとか、いやそうではない、それぞれが似たメロディーを内包しながらも、作品として全く別個とも言えるほどにそれぞれ独自の効果を上げているのだ、と結論づけるとか、そういう方向に展開すべきだと・・・。クールに、かつ論理的に、ある意味で楽しみながらそういった思索を重ねるのが、「全てが出揃った」後の世代の佇まいとして粋というものだと思うのだが、どうか。


 つまり、言い換えれば「何言ってんだ、万事洋楽のほうが格が上に決まってんだろ」とか「パクリは悪いに決まってるでしょっ!」とかいう感じのバイアスがかかってるものはもう論外ってことなんだけど、どうかなあ・・・。結局、そういうのって論者(という言葉は大袈裟かもしれないが)の貧困な感性と、それを支えている借り物の価値観が透けて見えるだけでみっともないと思うのよ。youtube貼ってる場合じゃないんだぜ?


 結論としては、まあアツくなるな、と。それよりも君の人生のパクリ度合い(※前回参照)に目を向けた方がいろんな意味で「エモーショナル」だと思うぜ。なんつって。上に書いた「粋」ではあってもやはりそれはある意味の限界でもあるはずだしね。世代的無力感を外部因子のせいにしてる時点で、僕はまあ、だいぶ鼻白んでしまいます。「若いというのは、残酷なことやね」(byジュリー)。



 ・・・ちなみに僕は「氷のくちびる」も「Hotel California」もそれぞれ別モンだと思うのですが。