ZAKKAN

 やっぱりこう、なんといいますか、「お、このバンドいいね」などと思ったりするとネットでいろいろ検索かけてみたりするわけじゃないですか。そうするとね、まあ知りたい感じのことももちろん知れますけど、知りたくない感じのことも知れてしまうよねえ・・・という、そんな甲斐バンドのお話。え、こういう前フリってありなのか・・・。いやいや、まあまあ。


 そうね、まあその「知りたくなかったこと」に関して・・・甲斐バンドの「知りたくなかったこと」に関して(笑)、ここであらためて書くのも鬱なので書きませんが(ググればいいと思う)、結局「BIG GIG」とかからもう四半世紀経っているわけですよ。いや、むしろあのとき僕はまだ産まれてなかったりするわけですが(!)、それだけの時間が経って今、それなりの変遷を経て、リアルタイムの甲斐バンド体験者のようには、僕なんかはもう体験することは難しいのかなあ、と思っている。どれくらいあの頃、あれが「ロック」だったのか、「HERO」はどれだけ衝撃的だったのか、などなど・・・たぶん、「ロック」というものの定義というか、それがただの音楽の一ジャンルなのか、そうでないのか、というところもあると思うし、結局、あとから「パクリ」とか言うことは簡単だと思うわけだが(あ、言っちゃうんだ・・・)、しかしそれはリアルタイムでは「同時代人としての共鳴」というか、「相言葉」のようなものだったんじゃないかと思うんだよね。違うかなあ・・・。いやあ、その辺が全部「パクリ」という括りになるんだったら、それこそ「インターネットという場を使って日記を公開する行為」や「断片的なフィルムを繋いでリズムを作る手法」や、もうむしろ「単語+助詞で文節を作って、主語述語を要に文章を成立させるという営為」までもがパクリなんとちゃうん?と、まあそういうことを僕は言いたい。要は全てパクリだ、と。人生はパクリです。あ、これなんか今日のキーワードっぽいね。


 さて、「パクリ」の通念に関するナントカ的展開をしてみたところで(あ、コペルニクス的転回か)、話題を変えますが、職場でね、あー・・・バイト先でね、一日中有線放送が流れているわけです。今のところチャンネルは流行りモノ中心のJ-POPのチャンネルなんだが、これねー、結構聴き続けるの拷問だなって思う正直(笑)。なんというか、毎日バランスのとれた食事をしている感じですかね(伝わんのかこれ)。音楽とは日常行為なのである!という確たるマニフェストが存在しているかの如き選曲で、いいよもう「君と出会えた奇跡」とか「前を向いて進め」とか「育ててくれた両親に感謝」とかああああああ!!!!!!! みたいなね(笑)。いやでもしかし、思ったのは、つまりその、そういう「言ってみれば、それ普通じゃん?」みたいなこと(まあそうなんだよねえ、そりゃ・・・)すらいちいち歌にせねばならぬ程、今歌うようなことがないのか、それともそういうことってのがあえて歌わなけりゃならないほど今危ういのか、どっちだ!・・・っていう。天国か地獄!みたいな?(笑)


 まあ冗談はよしこさんですが、きっと本当のホンネは歌にならない!と思ってるんだろうな、歌い手たちが。だからこう、あたりさわりのない感じで、「え、ごめん聴き流しちゃった」みたいな歌(うわー)に落とし所が定まって来ちゃうんだろうなあ・・・。しかしこれだけ今twitterだのmixiだのの自分語りツール(まあブログだってそのようなものだけどね)が流行ってる昨今なら、音楽でそれをやってみてもいくね?と思うが、一方では「本音なんてそうそう曝け出すものではない」と僕は思っているので、まあ、「アーティスト」諸兄諸氏は極度のマイナー性を高度な虚構性で再構築する、という、そんな方法論を採用してみるといいと思うよ。あと、もっと勉強して語彙を身につけてくれい(笑)。言葉の問題だけじゃなくて、感性とか、観察眼とか、もういろいろ。それこそ甲斐よしひろの足下にも及んでいないというか、その辺の奥行きが、やっぱりいいのよ(あ、話が戻った・・・)。



 とはいえ僕はマイナーものを支持するわけでもないですので、そこのところはひとつ、よろしく。誰によろしくするんだろう・・・。