鷹が去れど/eagle’s gone...

 ヨシモトタカアキが「重層的な非決定へ」と書いたのはもう30年近く前になるらしい。「我が転向」読んだことないので知らないんだけど(笑)。だいたいアイツの本は言葉遣いが難しすぎる。


 ・・・そうね、こんな物言いが既に価値観の多様化の一断片ではあるのだ。高名な評論家を「アイツ」と読んじゃったりするような・・・キャラ立ちで首相が支持されたりするような・・・ダサくないかどうかで聴く音楽を決めるような・・・そんな・・・。



 だからもう、諦めて良いんじゃないかと思う。「たかが」でいいんだ、もう。や、少なくとも僕は、それでいいんじゃないか、という気がするのだ。たかが音楽、たかが映画、たかが政治、たかが言葉・・・まあ、「たかが」で済んじゃいけないものもあるような気もするが。



 ・・・そうだなあ、だからこそ「されど」を言い続けていくことがこれからの仕事なんだろうな。されど音楽、希望が湧くぜ、とか、されど映画、見知らぬ世界のことだろうけど興味が出て来たぜ、とか、されど政治、やっぱりどこかで生活と繋がっているんだぜ、とか、されど言葉、言葉にすることで伝えるしかないんだぜ、とか・・・



「たかが」と「されど」、たかがされど、鷹が去れど・・・今回は駄洒落です。ごめん(笑)。