『Ordinary World』


「どっこいしょ」などと自分の口から発せられたなんて信じられない。そんな気分を引き摺りながら、
伍郎はかれこれ10分は玄関口に腰掛けていただろうか。ふいにまた空腹が迫ってきたので、彼はまた腰
を上げて、スーパーのロゴ入りのエコバッグをぶら下げながら台所へと向かった。



伍郎はパックの刺身を、ツマの大根ごとそうっと皿にスライドさせる――これは彼に、特に思うところ
があってやっていることではない。今は別れた妻の、夕食の準備を手伝っていた頃の作業を、今も継続
しているだけのことである。「こうするとスーパーで買ってきた380円のマグロでも、少しは美味しそう
でしょう?」妻の言葉が頭をよぎって少し嫌な気分になるのも、毎度のことだ。



それにしてもあのパートのおばちゃんたちの無責任さは、なんとかならないのか・・・伍郎は乾燥のシ
ジミ汁をお湯で戻しながら考える。引き継ぎはもう少ししっかり出来ないのか、自分で預かったクリー
ニングの品物ぐらい、何事もなくキレイにして客に渡せるようになりたいぐらいのことは思わないのか
・・・彼が「どっこいしょ」などと家に入るや放心していたのは、彼女らの起こしたトラブルの処理で
何時間も残業させられたからだ。



「社員とはいえ、俺もまだ入ったばっかなんだけどなあ・・・」



伍郎は思わず呟きながら、鯛の刺身と、その下のツマを箸でつまんで持ち上げた。バランスの良い食事
を・・・健康診断の類では毎年高コレステロールを指摘される。だからこそ、刺身のツマも疎かには出
来ない・・・そう自分に言い聞かせながら、彼はだらしなく口を開けて、ぶら下がっているツマが途切
れるのを待った。



あとは小皿の醤油(と少量のワサビ)をつけて、食べるだけ・・・の、はずだった。はずだった、とい
うのは、1本のツマがいつまでも途切れず、いまかいまかと箸を頂点に腕をどこまでも上げていたとこ
ろ、ついには頭上からぶら下がっている部屋の灯りのヒモにまで達してしまったからである。



伍郎は苛々しながら、そのどこまでも長いツマを、空いているほうの手で引っ張ってみた。引き出して
みるとそれは、はたして40cmほどあった。ちくしょう、いくら経費削減だからって大根まるごと千切り
の機械に放り込むこたねえだろう、どうせバイトの仕業だ、そうに決まってる。・・・考えながら伍郎
は、どうしようもなくやりきれない気分になっていくのを感じていた。残りの鯛とシジミ汁と白米を急
いで平らげると、彼は部屋の隅に畳んであった布団を乱暴に広げた。



「死にてえ・・・」



こんなとき彼は、決まってそう呟くことにしている。なぜなら、そう呟いた途端、自殺などとても出来
そうにない自分の臆病さや、結局そんなに思い詰めるだけの境遇に自分は至ってなんかいないという醒
めた現実が目の前にやってきて、なんだか可笑しくなってしまうからだ。



暗い部屋で一人、伍郎はヒヒッと笑うと、眠りについた。明日もなんとか、やっていくしかないよな。
そう思いながら。




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殆どこのサイトでは晒してないが、私の考える「ストーリー」の典型はこんな感じ。ブログだからってフザケたモン書きやがってとかは勝手に思って頂いて構わないのだが、まあそこに留まらないようにはしてるつもり。何割くらい実生活にヒントを得ているかはナイショ。あ、「40cmある大根の千切り」はノンフィクションです(笑)。


タイトルはDURAN2の曲から。まあその辺は特にフォローしないけど。