ふ、触れるべきかな・・・????

と、いうわけで世間の流行に倣ってスクイズ最終回がとんでもないことに!!!





いやあもう笑っていいんだかなんなんだか。でまあこういうコトになっちゃった上でマジメな話するのもなんだかツマラナイ感じですけど、おとしまえつけとこうかな、こないだのハナシ





・・・↑の日記読んでると、まるで今にも「アニメは子供のモンだーーーーー!!!!!!!」とか言い出しそうなジブリストっぽいですけど、違います。僕はそんなにマジメじゃないよ。第一ジブリは嫌いです。

まずハッキリ書くと、アニメーションはどんどん新しいことをすべきだと思う。子供のモンだなんてつまらないこと言ってないで、独立したひとつの映像表現なんだということをもっと打ち出していくべきだと思う。それはテーマ性にしてもそうだし、技術的にもね。タブーとされているものだってどんどん扱っていけばいいと思う。過去の遺産にぶらさがって縮小再生産しつづけてても意味ないし。だいたいそう思ってなければ僕はなんで今こんな職業についてるんだって話になる。でしょ?

でもその上で大事なことは、表現で何をするんだってこと。なんのために作るんだってこと。ものすごく単純なところだと思うんだけど、表現するってことは、基本的にはなにかの「発見」があったから「伝えたい」んだよね? 誰も気付かなかったことを見つけたから、その驚きを他の人とも共有したいんだよね? そしてあわよくばその「発見」をした自分をちょっと誉めてもらいたいな、なんて(笑)。


高校生の間でのドロドロした恋愛話もいいでしょう。信じられないようなハーレム状態の末の修羅場もいいでしょう。でもそっからなにが見えてくるの? それが大事じゃん?ってことです基本的には。それを言い換えて「昇華」と呼ぼう。作者の内のモヤモヤした想い、実際の事件の不可思議性、あるいはスポンサーが無理矢理ねじ込んできた「萌え要素」・・・なんだっていいです。ともかくいろんな材料を料理して、重要なのはそれがなんに化けるのか。観ているこっちの人間を、どんな高みへ連れ出してくれるのか。昇華してくれるのか。元気づけられたり、意識改革させられたり・・・。・・・自分も含めて、みんなドラマを見続ける中で蓄積される思い入れとか怒りとか伏線とかをちゃんと作品のエンドマークで昇華してもらいたいんだと思うんだよね。そして作ってる人間の想いとしては、昇華して伝えたものが、相手の中で育っていってもらいたい・・・と、少なくとも自分はそう思ってる。


アニメーションを作る過程ってのは、そのための足場を這いつくばってでも地道に固めていく作業だというのがこの職を続けてきての実感なわけで、だからより一層、作品の「その先」が気になるよ、っていうことなんですよ。




・・・しっかし書いててより一層勇み足だったなあと実感する自分。まあ悪い予感は外れてなさそうだったとはいえ、そこの配慮がないのは申し訳なく思います。スイマセン。(って誰に謝ってるんだろう・・・)まあ一種の度胸試しをしたがっている人が多そうだから、上に書いた文はきっとすっげえ野暮なんだろうなあ・・・。