相変わらずな茶々某です。ごきげんよう


まあ相変わらずも相変わらず、まったくもって状況は相も変わらず、つまり自分の絵を書く時間が取れない、と。辛いわあ。本当に。別に何時間仕事しようが構わないんですが、その分自分の絵が描けなくなるのが辛い。

・・・なんか最近くどくどと書いてはいるけど、結局絞り込むと「絵を描くのが好き」「音楽が好き」で、「音楽聴きながら絵が描けたら最高」っていうだけなのですよ自分。っていう原点回帰をいきなりしてみるけども、何が言いたいかって、そんなフツーよりちょっと音楽詳しいからってなにを偉そうやねん自分、ってことで。上記「〜たら最高」にしても、高校とかの頃にですね、肌寒い夕暮れの帰り道を「Ghost Town」(Cheap Trick)口ずさみながら駅まで歩いたりした時のような感覚を形に出来る自分なりの方法論、ってハナシで、そういうかわいげのあるもの、たわいもないものでいいわけじゃないですか。別に「ここのギターとベースのユニゾンが・・・」とか「ここのボーカルの対旋律になってるキーボードのオカズが・・・」とかいちいちどうでもいーんだよ、と。そういうのは確かに相手に言葉で伝える手段として有用かもだけど、自分がいろんなもの(音楽でも絵でもなんでも)と触れるとき、別にそんな理屈っぽいこと考えねーよ、と。ただグッとくればそれで良し、やん?と。なんだかよくわからんくなってきたけども、音楽でもなんでも、影響を受けたものについて、年齢や場面に応じて、ちょっと一般の人とは違うものとズレて出会って影響を受けてるってだけの話で、例えば高校のとき何を聴いてたかって、別に「おーるまん・ぶらざーず・ばんど」とかじゃなくて「ちーぷ・とりっく」だったわけで、これが20世紀末の話じゃなくて'70年代末の話だったならば別におかしな話ではないと思う。そういう意味でスレてたり背伸びしたりはしてないし、それはそれで本当に良かったと思うし、それこそ高校のときに「でびっど・ぼうい」の良さは理解出来なかったし、背伸びして分かったような気になってたらそれこそとんでもない頭デッカチ芸術かぶれ野郎になってたと思うし。そういう意味でちゃんと「現役の感覚」で今まで来れたことはありがたいと思う。


・・・長いなあ。


だからですな、結局勝負どころとしては、自分が受けた影響をいかに新しいかたち(=作品)として昇華させて自分から出していくか、ってところだってことです。おこがましいけど、違うものを見てきた人間がフツーと違うアプローチのものを出していく(or出していける)ことには意味があると思う。繰り返すがそこに特になにも特権とかないけども。ここをなんとなく踏み外しがちなので再確認しただけの話。なんとなく自己弁護っぽくなってきたけど・・・だから尚更自分の絵を書く時間が欲しい。

ってことで、あんまり意味不明だったかもしれないけど、一言。ごめんね。僕は今、倖せです。