極くプライベートなハナシ。

ども。


相変わらずネット環境はダメダメな今日この頃の茶々某ちゃんです。でも、でもでもでもでもでもだ。いつまでもンなことやってちゃイカンだろというわけで、自宅でポツポツ打って書いたテキストを携帯メディアに入れてマンガ喫茶からアップしてみることにした。いろいろ書いたので分割します。なので今日から五日間連続更新のように見えるけど実はそうでもないので、ま、そんな感じで。



では一日目。







「あの」事件について、本音言うと、僕は完全に打ちのめされてしまった。なんに打ちのめされたって、それはもう、あの事件に関するなにもかも、だ。
あの事件の一報があった頃、僕はいつもの週末の通りバイト中だった。昼前後の客の波が一段落して、そろそろ飯でも食いつつ一息入れようか・・・そんなときに、バイト先の店で終始かかっているラジオからの速報としてそれは流れてきた。その速報は、単にいつどこで、なにが、という、事態のおおまかなディティールを伝えるのみで、僕はそのとき、これは右翼の仕業なんじゃないか・・・と思ったのだ。何がアニメは日本の誇る文化だ・・・!という主張のデモンストレーションが、秋葉原という象徴的な場所で決行されてしまったのか、と。
しかし、現実は違った。TVや週刊誌やニュースの報道を後追いで見聞きするにつけ、「彼」は思いのほか、距離感の近い人間だったのだ。親元を離れた、将来の見通しにどことなく不安のある孤独な生活者、という大掴みのところはともかくとして、ディティールとして彼を印象づけるものは「東方」シリーズであり「おにいちゃんCD」でありサバイバルゲーム嗜好であったわけで・・・そのどれもが僕自身の趣味とは微妙に方向性が違うものであることが「距離感が近い」と曖昧に書かざるをえない所以でもあるのだが、しかしそれにしてもこの距離感の近さはなんだ? 僕は年に何度も秋葉原には行かないけれども、しかし彼と僕とはあの街ですれ違ったかもしれない。もしかしたらどこぞの店で隣り合って買い物をしたかもしれないし、食事をしたかもしれない・・・。そんな想像がそこまで不自然ではないというのが僕の正直な感覚だ。有り体に言えば、要するに「オタク」として自他ともに括り括られるものとしての奇妙な親近感があったわけだ。
しかし他の「オタク」にとってはそうでもないのだろうか。あの事件に関しての報道に「これだからマスゴミは」と切って捨てるステレオタイプないつもの反応を示すのが、僕の知る狭い「オタク」の反応だった。犠牲者に対するお悔やみの言葉は出ても、あくまでその視点の置き方は「どこか他人事」に見える。ましてこんな反応の仕方は、こと今回の報道に関しては、その「マスゴミ」よりもよっぽど決まりきって偏見を含んでいると言えはしまいか・・・一部を除いて、今回の報道の多勢を占めるのは派遣労働というものに象徴されるいわゆる格差社会への問題意識や、もう少しいい加減に、「若者が恐い」という方向性であって、それは犠牲者にもまた「オタク」と呼ばれる人間が含まれていることにも因るのではないかと思う。
これは、桃井さんのようなことを書けるのが桃井さんぐらいのものだ、というのがもはや暗黙の了解で、つまるところ口で言う程みんな「オタク」や「秋葉原」などというものに寄せる想いはないということなのか・・・考えるほど暗くなってしまうのだけれど、僕にとって、「こちら側」に来た一因のひとつに、あの「コミケ」という、オタクという人種独特の連帯感が成せるひとつの象徴的なものに触れて、心動かされてしまったから・・・というものがあったりするものだから、なんだか・・・結局、今回の「あいつはあいつで、オタだから犯罪をするわけじゃない」と一方的なニュアンスを含む発言をして自らと彼を線引きしてものを言う行為は、「あいつはオタクだから」と一般人が線引きして安全圏からものを言う傲慢さと、ぴったり相似形にあるのではないか? 結局、自分はいつでも「彼」になりえた、というある種身につまされるような感覚とは無縁なのだ。今回の事件のあまりのインスタントさ、一種のヒロイズムとは無縁のあまりにも地に着いた感じ、そしてなによりもディティールの恐ろしいまでの即物性がこれほど目に見えているのにも関わらず・・・。そういう無自覚さこそが、自他に芽生えるいくつもの兆候を見過ごさせ、それこそ人知れず狂気を育てていく温床ではないか? 無論、性風俗や凶器を規制することで結果的にそういった「危険なもの」を安易に彼岸へ追いやったり、「人それぞれ」でなんでもすまそうとする傾向がその大元にあるのもまた間違いないだろう、とも思うのだが。

それにしても、こうして彼はどんどん孤独になっていくわけだ。一般社会からはもちろん、趣味として依っていた世界からも。「神」とあがめる人間など、所詮自らの捻れを昇華したいのに過ぎないのだし。・・・こんな殺伐とした現実を見たくて、僕は「オタク」でいるのだろうか? 僕が一応そういった「業界人」(と、いう言い方そのものがどこか傲慢で嫌だが)であったという事実もまた、僕にとってどこか他人事で済ますことの出来ないことの要因ではあるけれど・・・。




ま、妄想入っちゃったザレゴトはともかく、あの事件は「俺みたいになるなよ」というメッセージなのだと僕は個人的に受け止めることにした。報われぬ孤独な都市生活者のハシクレとして。